ホリブンの歴史・3
こんにちは。堀文です
朝晩はめっきり冷え込むようになりましたね!
寒暖の差の激しいこの季節、お風邪など召されないよう
くれぐれもお気をつけください
さて、このページでは「ホリブンの歴史」と題しまして、
堀文の歴史を月1ペースでお届けしています。
今回は、成長する堀文をテーマにお送りします。
昭和30年代、高度成長期に入った日本。車での移動が増え、
別府も、そして亀川も様変わりしてきました。
ぜひごゆっくりとご覧ください。
現会長である、堀 敏弘が配達のために導入したオートバイは
当時の別府では珍しく、瞬く間に評判となりました。
敏弘は、山がちな別府の街に住むお客様のために、どんどん配達を強化。
2台目、3台目のオートバイ、スクーター、そしてオート三輪を投入し、
ますます販路を拡大しました。
↑上が国鉄日豊本線。手前に見える線路が別大線。九州初の路面電車で大分と亀川を繋いでいました。
そのころの別府は、交通網の発達がめざましく、
車や電車に乗って店を訪れてくださるお客様も増えてきました。
そこで、敏弘は店舗の拡大に着手。
今まで駐車場として借りていた隣家の土地を購入し、
二間間口(※1)の店を一気に倍の大きさにしました。
(※→にけんまぐち=建物の正面の幅が畳2枚分のこと、約3.64m)
やがてそれでも足りなくなり、33年1月には店舗を拡大改修、
その次の年には駐車場を購入し直すことになりました。
そして、更にそのよく翌年には2階建ての店舗へと建て替えることに。
もちろんほとんどは借金をしての購入です。
「怖かった。しかし(店舗を拡大)しないわけにはいかなかった」
と、敏弘は当時を振り返ります。
戦後の好景気とは、それほどまでに大きな波だったのです。
しかし、それでもまだ足りませんでした。
しかも店舗を拡張しようにも、もう周りに土地がないのです!
そんな「堀紙文具店」を救ってくれたのは、当時別府に多く住んでいた
復員兵の人たち。
このとき、ちょうど日本中で復興が進み、海外からの復員で、別府に
駐留していたひとたちやその家族が自分の故郷に帰る時期だったのです。
飛び地のように手に入れたその土地と、交換して、近所の店舗や駐車場の
土地を手に入れることができ、「堀紙文具店」は無事拡張回収することが
できたのでした。
↑当時の亀川商店街のお祭りに参加した時の様子。なんと右側の美女に扮しているのが敏弘です!