ホリブンの歴史・4
こんにちは。堀文です
気づけば紅葉のころを過ぎ、時の流れの速さに驚くばかりですが、
皆さまいかがお過ごしですか?
ものの本によると、忙しいとは「心を亡くす」と書くそうです。
師走を臨むあわただしい季節ではありますが、いつも心にゆとり
持ちたいものです
朝さて、このページでは「ホリブンの歴史」と題しまして、
堀文の沿革を月一ペースでお届けしています。
今回は「自動車の時代」。
堀文が販路を拡大してきた道のりを辿ります。
ぜひごゆっくりとご覧ください。
大分でも大分市や別府市を中心に都市化が進み、特に県庁所在地である
大分市は官庁街が日に日に大きくなってきていました。
別府を拠点にしていた堀文は、起伏の激しい地区に住むお客様のため
オートバイでの配達を強化してきましたが、大分市内のオフィスからの
注文に対応するため、ついに4輪自動車での配達に踏み切りました。
今でこそ、自動車での配達は珍しくないと思いますが、当時の自動車は
高級品!配達に使っているのもデパートなど限られたお店だったのです。
いち早く、自動車を配達に導入したおかげで、別府市内のみならず
日出町の学校にも納入できるようになり、あまり交通の便の良くない
地域にも堀文の文具をお届けできるようになりました。
↑昭和40年ごろの堀紙文具店。店の前で荷物の積み下ろしをしています。
気交通網が発達したとはいえ、まだまだ一人に一台の時代ではなく
気軽にデパートなどに買い物に行けない、当時の周辺町村に住む
子どもたちの多くは学校の購買部で文房具を購入していました。
配達区域を拡大し、学校の購買部にも納品するようになった堀文は、
子どもたちの学校生活を支える商品を強化するため、
「サクラクレパス」「教材の内田洋行」「新日本教材」との取引を開始。
子どもたちが見るだけでわくわくするような、新商品を迅速にお届け
出来るようになりました。
このころの、楽しく新しい文具で、わくわくを提供できるような
文具店でありたいという思いは、今の堀文でも変わっていません。
↑現会長 敏弘の妻、品子。躍進しながらも多忙を極めた堀文を敏弘と共に支えました。